【特集】秘境探訪・筏師の道~熊野の集落を結ぶもう一つの古道

熊野を結ぶもう一つの古道「筏師の道」

手付かずの場所だからこそ残された、美しい自然と
昔の人々の営みの痕跡、まだメディアにも大きく
紹介されていない、真の秘境を訪ねます。

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筏師の道とは

北山川ではかつて、切り出した木材を筏に組んで流す
「筏流し」が行われていました。「筏流し」は道路がない時代、
木材を運ぶ唯一の方法で、流れが激しい水路を櫂や棹を巧みに
操りさばいていたのが「筏師」と呼ばれる人たちです。
明治時代の最盛期には500人もの筏師がいたそうです。
そして、川を下り、木材を運び終わった筏師が櫂や棹を
かついで歩いて帰った山道が「筏師の道」として今も残っています。

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筏師の歴史

北山川の筏師の歴史は古く、村に伝わる文献によると、
慶長元年(1596年)京都地方を襲った大地震の中、北山村の
木材を使用した伏見城の一部はビクともせず、これを喜んだ豊臣秀吉は
村に「北山郷御材木所」の朱印状を交付したと記されています。
さらに慶長9年(1605年)徳川家康が江戸城本丸を立てた時、北山材を
使用したと記されています。
このことから北山の筏師の歴史は、600年以上になることがわかります。
江戸方面を最大の市場として栄えた新宮城下と北山川流域、木材の輸送は
筏流しの方法以外はなく、その技術が北山筏師だけの技術として
受け継がれました。
明治時代には、大沼、下尾井などの集落に500名もの筏師が暮らし、
日本全国でも最大級の筏師集団を成していました。
しかし、600年にわたって北山川流域を支えてきた筏師の仕事は、
昭和30年代後半、ダムの建設によってなくなり、木材はすべて
トラック輸送となりました。

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現在に伝わる筏師の道

南紀熊野ジオパークとして登録されている「筏師の道」
かつて筏師たちが行き交った山道は、交通網の発達によって
次第に使われなくなりました。
新宮から北山に至るの「筏師の道」の一部は、まだ観光としては
開発されておらず、地域発展の資源としてのどう活用していくか、
今後の課題として取り組んでいるところです。
しかしここには、山深い地だからこそ残された美しい風景、
多くの遺跡、先人たちの痕跡を見ることができます。
手付かずだからこそ残る真の秘境を訪ねてみませんか。

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同行ガイド紹介【平野皓大】
 
隣接する三重県の高校を卒業するまでこの地区で暮らし、
卒業後は愛知県に就職。2008年暮れに生まれ育った嶋津に戻り、
「日本一小さな観光協会」を自称する嶋津観光協会を設立、
限界集落と言われる地域のPRに取り組んでいます。

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